GJのキレイゴト

キレイゴトだってかまわない。理想だからこそ追い求めたい。

GJのキレイゴト

それでもぼくは旅に出る。世界で一番遠いところを目指して。

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当時大学1年生のぼくは、退屈で単調な毎日に疲れていた。

「充実した大学生活を送りたい」と考えていたから、誰よりも積極的に授業に参加したし、呑み会にも欠かさず参加した。

授業の課題が出れば、よりよいものを作ろうと徹夜で作業していたし、難しい専門書を何冊も読んだ。

仕送りのない生活だったから、バイトは最低でも週5。15連勤なんて当たり前。

 

そんな生活を続けていても、不思議と悲しくはなかった。

「だって忙しいのは充実しているって証拠でしょ」。そんな風に自分をごまかしていた毎日。

でもさすがにもう疲れた。ある日、急にそう思った。限界がきていたのかもしれない。理由は分からない。でも確かに「もう疲れた」、そう思った。

 

翌月のバイトのシフト申請が始まると、すぐに週末に休みをとった。

「週末に休まれると困るんだけど・・・」。シフトを組む社員さんが困ったような顔をしていた。

「すいません。少し休みを頂きたいんです。」

今までのことを考慮してか、休みをもらうことができた。

 

休みをもらって何をするかは前から決めていた。

「旅行をする。」

少しばかり、普段の生活を、日常を忘れたかった。そうでもしないと頭が休まらない。

そんなことを思って、青森を離れて大阪に行った。

友達の家に泊まりながら、大阪や京都を観光したり、足を伸ばして伊勢神宮にまで行った。

精力的に動き回ったのに、身体は少しも疲れなかった。

バイトに行かなくてもいいことが幸せだったし、有名な観光地をめぐるのも楽しかった。

人は「楽しい」ことをしているときは疲れない生き物なのかと実感した3日間だった。

 

普段は学生を続けながら、時々、休みをとって旅行をする。そんなサイクルに幸せを感じ始めたぼくは、旅行を趣味にするようになった。

2ヶ月か3ヶ月に一度、地元を離れて遠くに行くことが楽しくて仕方がなかった。

 

地元を離れて初めての土地に行くたびに、思い出すのは決まって地元のこと。

地元のことを、日常のことを忘れるために旅行しているのに本末転倒じゃないか。

でも、旅行をするたびに必ずその土地と地元を比較してしまう。地元のことを忘れることなんてほとんどなかった。

 

海外にも何回か行った。

それでも日本を、地元を忘れることはできなかった。

大学2年生の夏に「留学に行こう」と決意した。

高校生の頃からやってみたかった海外での長期滞在。日本の外に出て、その土地で生活する経験がしたかった。

それと同時に、周りの空気を読んで自分を押し殺したり、自分のコミュニティ外の他人にはまるで関心を示さない日本人との付き合いから離れたかった。当時のぼくは、そんな社会に疑問をもっていたから。

1年間フランスで語学を学びながら、買い物をしたり、お酒を呑んだり、旅行をしたり、現地の生活を楽しんだ。

 

旅行を続けているうちに、自分の好みが分かるようにもなった。

どうやらぼくは”自然”が好きらしい。

どこまでも続く地平線が360度に広がる山頂。まっすぐに伸びる水平線に沈んでいく真っ赤な太陽が見られる浜辺。クーラーなんてなくても全然暑くない森林の中。数え切れないほどの星が輝く星空の下。

心が安らぐのは、いつだってそんな時だった。

 

都会のどこに行っても心が休まらなかった。

それなのに、海を見るだけで、山に登るだけで、それだけで優しい気持ちになれた。

社会というのは結局は人間の頭が作り出したもの。

言ってしまえば、人間社会というのは人間の脳内空間にすぎない。

社会を離れて、人間世界から離れたことで、人智を超えた大自然にぼくは包み込まれていた。そして、ぼくにはそれがなんとも心地よかった。

 

インターネットの発展で世界は小さくなった。

お風呂の中でも、電車の中でも、どこにいても、世界のニュースに触れたり、可愛い服をヨーロッパから買ったり、外国に住んでいる友達と電話したり。

 

世界はスマホの中に詰まっている。そう感じさせる毎日が続く。

でも実際はそうじゃない。

手元に届くニュースを見て現地を思ってみても、それは想像でしかない。

世界は想像でなんか、できあがっていない。現実が、日常が、そこに生きている人たちが作り上げている。

それを知らないままで「世界を知っている」なんて言えるのか。

 

いろいろなところに行くたびに有名な観光地をめぐった。

歴史を知ったり、昔の人の技術に驚くことも良い経験になる。

心を癒すために大自然にも触れた。

人智を超えた雄大な自然に触れると、自分のちっぽけな悩みなんてどうでもよくなる。生きていることがどんなに素晴らしいことなのか、そんなことを考えさせられる。

現地の人と交流もした。

その場所を作り上げている人たちを知ってこそ、その場所を理解できる。

どんな観光地をめぐっても、最後に心に残るのは現地の人の顔。

ものすごい勢いで質問してきたタクシーの運転手さん。ぼくが学生だからといって、店長に内緒で安くしてくれたレストランのウェイターさん。商品をなんとしてでも買わせようとする押し売りのおっちゃん。お母さんにだっこされて笑っている赤ちゃん。

確かにスマホでニュースは受け取れるけれど、確かに観光地めぐりもいいけれど、現地に行って見られたその土地の人たちの暮らしや生き方の方が、ずうっと心に残っている。

 

旅行をし始めたときは、日常を離れて、非日常でリフレッシュすることが大きな目的になっていたけれど、旅行が趣味みたいになってくるとそれも変わり始めた。

「世界はぼくが想像していたよりも、もっともっと広い。それを自分の目で確かめたい。ぼくは今の時点で世界の1%も見られていないんじゃないか。そのまま死んでいくなんてイヤだ。」

そんな好奇心に駆られて旅行をするようになった。

ぼくには周りの人たちが抱えているような、大きくて立派な大義なんてものはなかったし、それを恥ずかしく思っていた時期もあった。

それでも、結局は好奇心に駆られて旅行をし続けた。

 

1年間のフランス留学は、ぼくに大きな変化をもたらしてくれた。

日本の”当たり前”が世界の”当たり前”ではないことを、身を以て実感したこと。それも大きな経験。

でも、それ以上に大きかったのが、自分を見つめ直す時間があったことだった。

 

日本で生活していた頃は、朝起きてから夜寝るまでの間に、落ち着いて自分のことを考えられる時間の余裕なんてほとんどなかった。

だから、フランスで時間を持て余した時に、自己啓発書なんてものをカッコつけて読んだりして、何度か”自分”というものを見つめ直した。

ぼくは一体なにがしたいんだろう。

ぼくはどのように生きていきたいんだろう。

ヒマさえあればそんなことばかり考えた。

 

留学の前後でたくさんの愛に触れた。

フランスに行く前には「留学、頑張ってこいよ。」と黙って背中を押してくれた。

日本に帰ってくると「お疲れ様。」と優しく出迎えてくれた。

そんな家族や友達、先輩や後輩がいたことが、たまらなく嬉しかった。

「おかえり。」「会いたかったよ。」と言ってもらえるのが、こんなにも嬉しいことだなんて知らなかった。

 

フランス人は外国人のぼくも大きな愛で包んでくれた。

重い荷物を持っていれば、「お手伝いしましょうか?」と声をかけてくれる。

足をケガしていれば、「どうぞ」と言って席をゆずってくれる。

そうか。愛に国境なんてものは存在しないんだ。

頭では分かっていても、自分で感じるものは、それとは全然違っていた。

 

フランスでお金を使い果たして、東京から青森までヒッチハイクで帰った。

「◯◯まででいいなら乗っていくかい?」

ここでもたくさんの人の愛に触れて、ぼくは地元まで帰ってきた。

 

あぁ。ぼくはたくさんの人の愛で生かされているんだ。

決して、ぼくの力で”生きている”んじゃない。

今までのぼくは、自分の力で、自分の意思で人生を選んできたと思い込んでいただけなんだ。

本当は違う。

見える、見えないに関わらず、たくさんの人に見守られて、愛をもって育てられて、ここまで生かされてきたんだ。

 

だとすればぼくが選ぶべき人生の選択肢ってなんだろう?

”生きている”んじゃなくて、”生かされている”ぼくは、どうやって生きていくべきなんだろう?

 

みんなはどうやって生きていきたい?どうやって死んでいきたい?

 

ぼくは今なら胸を張ってその質問に答えられる。

それが、ぼくにとっては嬉しい。

難しい問題に何時間も頭をひねって、何時間も格闘して、ようやく答えを見つけたときの、 あの感じに似ているかもしれない。

 

「留学はどうだった?」とたくさんの人に聞かれる。

ぼくは、何かの使命感に駆られて、あるいは大義や何かしらの目標を抱えて、日本を飛び出したわけではなかった。

ただ、そこに何があるのか自分の目で見てみたかった。それだけ。

周りからバカにされても仕方のない理由だと思う。でも、ぼくにはそれが全てだった。

 

地元を離れれば離れるほど、日本を離れれば離れるほど、見知らぬ場所に足を踏み込んでいけばいくほど、ぼくは地元のことを思い出した。

遠い場所の”いま”を知りたくて旅に出たはずなのに。

 

地元を離れて、新しい景色、新しい人、新しいモノに出会えば出会うほど、そこにたどりつくまでに通り過ぎてきた他の場所のことが、そして地元のことが、どんどん頭の中に流れ込んできた。

ぼくは、いざ旅に出るまでそんなことになるとは思いもしなかった。

 

広い世界の見知らぬ場所に足を踏み入れて、新しい発見をするたびに、ぼくはそれまでに歩いてきた道を、無意識のうちに振り返っていた。

そしてそれは、道だけにとどまらずに、生まれ故郷の日本のこと、育った町のこと、大学生活の中で通っている居酒屋や高校時代に友達と遊んだゲームセンターのこと、そんなことまで振り返るようになった。

そうやって旅を重ねることで、そんな場所を、今までよりももっと深く、新しい目で理解できるようになっていった。

 

地球ってまるいよね。

今を生きている人にとっては、もうそんなこと常識中の常識。

そんな地球を”世界”だとしたら、世界で一番遠いところって、実は自分の背中なんじゃないかな。

ほら、地球をぐるっと一周まっすぐにまわったら、また元の場所に戻ってくるから。

 

どこまで行ってもなかなか見えてこない、一番遠いところ。

でもそれは、遠くを夢見て旅に出た、あの最初のころに実はもう見えていたんだ。

 

留学を機に自分の何が変わったのか。

もっとバカにされるのかもしれないけれど、ぼくは何も変わってない。

日本の外に広がる世界に気がついただけ。

その世界でぼくたちと同じように、でも異なる文化の中で生きている人たちに気がついただけ。

 

そして、ただ、そんな世界の中に生きる自分を見つけただけ。

退屈で、単調な毎日を過ごしているだけだと思っていたぼくも、たくさんのものをもっていたんだってことに気がついただけ。 

 

ぼくは、自分がいかに自分の意思をもたないまま生きてきたかを実感した。

電車に乗って、学校で勉強して、たまに友達と遊んだりもしていた。

将来のことを考えてみるけれど、「忙しい」毎日を言い訳に、実際は周りに流されていただけだった。

そこに自分の意思があるように見せかけて、ラクをしようとしていただけだった。

「自分らしく」なんて言いながら、結局は誰かが歩いた道を同じようになぞっているだけだった。

「日本の外に飛び出そうよ」なんて言って、海外に出て、浮かれている自分も情けなかった。

 

退屈な日常を作り出しているのは、まぎれもない”ぼく”なんだ。

どんなに忙しくても、どんなに単調な毎日が続いていたとしても、ぼくはそのことを忘れない。

自分の人生はいくらでも変えられる。

結局、最後に大事になるのは「やるか、やらないか」。

ただそれだけ。でもそれが全てなんだ。

 

「めんどくさい」から、一歩が踏み出せるかどうか。

「楽しい」を追いかけているかどうか。

人生の主人公が”自分”になっているかどうか。

悩むことはあったけれど、いつだって結論は出なかった。

周りから「変なやつ」と思われるのが怖かった。

でもぼくはもう悩まない。だって答えはもう出ているから。

 

人生はいくらでも変えられる。

退屈で単調な毎日を過ごしてもいても、ぼくはそれを忘れない。

単調で退屈な毎日をつくっているのは、いつだって”ぼく”なんだから。

人生っていう物語の主人公は、他でもなく”自分自身”なんだよ。

 

お金を貯めては旅に出る。

「ぼくは世界を知りたいんだ。世界を知ることで自分を知りたいから。」

そんなことを繰り返していると、「足元を見つめ直せ。」とか「そんな贅沢してるヒマあるの?」とか「リア充ぶってるだけ。」なんて言われる。

それでもぼくは旅に出る。世界で一番遠いところを目指して。

他の誰でもない、ぼく自身のために。

 

A bientôt! :D

 

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